2012年3月16日金曜日

幸福の追求

本を読んでいて気になることがあった.本のタイトルは『英語にあきたら多言語を!』(アルク,2011年12月9日発行)著者はトニー・ラズロさん.『ダーリンは〜〜』シリーズの小栗左多里さんのご主人.まさに“ダーリン”その人である.トニーさんのお父さんはハンガリー人,お母さんはイタリア人.一家はアメリカに住んでいた.家族の共通言語は英語.ハンガリー語でもイタリア語でもなかった.本のある章は,そのサブタイトルがー僕の母語が英語になったわけーとなっている.彼自身,自分の母語は英語と認めている.
 
 こうなった理由は何か.まずはアメリカ社会では,英語が圧倒的な勢力を持つということ.これはだれでも納得するだろう.さらにトニーさんはもう一つ,(自分の家族の)経済的な理由があるかもしれないと書いている.確かに,継承語(母語)を本気で継承しよう(させよう)と思ったら,親が子どもに話しかけるだけでは不十分だ.ハンガリー(イタリア)語の絵本,本,新聞,DVD(ビデオ),プレイデート,ベビーシッター,学校・・・どれをとっても,アメリカで手に入れるには,かなりのお金(と労力)がかかる(私自身,アメリカ生活中,子供用の日本語書籍を集めるのには大変苦労した).さらに親が本気で教えようと思えば思うほど,親自身が労働時間を削らなくてはならない(そのくらい時間をかけなければ結局意味がないのだ).となれば必然的に収入は減る.いたちごっこである.しかし,仮にお金や労力をかけても,圧倒的英語優位社会の中では,ハンガリー語やイタリア語のコストパフォーマンスはとてつもなく低い.ならば,そうまでしてイタリア語やハンガリー語に固執する理由があるのか?何をするにも圧倒的に有利な英語を選ぶのは,ある意味自然な流れだ.トニーさんは「人はワケがあって乗り換えるのだ.そのわけとは『幸福の追求』である』と書いている.


 U-18に来ている子どもたちも,継承語(母語)と日本語の谷間で懸命に生きている.私は,どの子も継承語(母語)を大切にして欲しいと願っている.けれども,それぞれの子ども,それぞれの家庭に,それぞれの理由がある.お金と労力のかかる継承語の継承.どれだけの家庭がそれに費やす余裕を持っているのだろうか.それ以前に,継承語は努力しなければ衰退してしまうということを,本当の意味で理解している親はどれくらいいるのだろう.どうしたらいいのか?いくら考えても良い案が浮かんでこない.


 本の後半で,トニーさんは,自分は決してマンクルトになりたくない,と書いている.マンクルトとはキルギス人がロシア語で書いた(これはなかなか意味深だ)SF小説の主人公の名前である.小説の内容はここでは触れないが,トニーさんに寄ればマンクルトは『アイデンティティーを失った人』である.そしてトニーさんは言葉を続けていく『ハンガリー語を知らないハンガリー人(になりたくない)』『自分の本当の言葉』『子どもに受け継がせる』・・自分に言い聞かせるかのごときこれらの言葉.彼の強い決意表明がそこにあった!!