2012年7月9日月曜日

『できる』はずなんだけど・・・

U-18の活動の中で、とても気になったことがある。
中学生が数学の宿題(計算問題)をやっていた。横に座って見守りつつ、少しずつ手助けした。どうにか自力で答えを出している。そう、
じっくり向きあって、ゆっくりつきあえば、自分で解ける宿題なのだ。
ところが中学の先生は「解答を写していい」と言うのだそうだ。その子は、家ではいつもそうやっているという。実際にU-18にも解答を持って来ていた。宿題を提出させることで、少しでも平常点を上げてやろうというのが先生の目論見(親心?)なのだと推察する。でも、なんだかなあ。それじゃあの子はいつになったら、自分は「できる!」と思えるようになるのだろう・・・
学校では一クラス30名以上を一度に教えなければならない1週間でここまで、1ヶ月でここまで、1年でここまでという目標(ノルマ?)もあるだろう。現状では、ある程度の無理はしょうがないのかもしれない。しかし「教育する」ということの意味(本質)はどこに行ってしまったのかと考えずにはいられない。
この子たちはこれから先もずっとこの社会(日本)で生きていくことになる。現状では、中学校の教育内容は身につかないままになるだろう。いやそれだけならまだしもである。それ以上に私たちが見つめなければならないのは、このままでは「自分にはできないという自己否定的な気持ちを抱えたまま生きていかせなければならない」ということである。本当に大変だというのはよくわかるが、学校でももう少しこのことを重く考えてもらえないだろうか


広島の風景:夕陽を浴びる厳島神社(2012/07/08)