2013年6月7日金曜日

子どもは親を選べない

 早いもので、6月になって1週間が経つ。新学年が始まって丸2ヶ月、U18の参加者には新顔が増えた。人数が増えれば活動には活気が出る。子どもたちは仲間が増えて喜んでいる。しかし、ヤッチャルとしては喜んでばかりもいられない。むしろ最近は新人が来る度に、溜息をつくことが多い。なぜならU18に飛び込んでくるのは、何か問題を抱えている子がほとんどだからだ。たとえば
  1.  中学卒業後、どこにも行き場のない子
  2.  苦労して(定時制)高校に入ったのにやめてしまった子
  3.  就学年齢なのに学校に通っていない子(不就学)
  4.  親が夜勤で、夜、家にいるのは子どもだけ
  5.  離婚、再婚で両親の間をたらい回しになり、日本と母国の往復を繰り返す子
  6.  社会的に良くない行動をした子
  7.  日本と母国を複数回往復→年齢相応の教科学習ができる言語を持たない子
  8.  低学年で日本の学校に通い、母語がおぼつかなくなっている子
  9.  高学年で来日し、日本語、母語、教科学習が中途半端になり学習意欲減退の子
 思いつくままに列挙してみたが・・・こう見ていくと、全国で問題になっていることが、東広島でも起こっている。最近群馬県でおきた悲劇(親が日本に子どもをおいて母国に一時帰国した間の出来事)は、本当に心が痛いできごとだが、東広島でもあのようなことが起こらない保証はどこにもない。
 
 U18の子どもたち(と言うより、日本にいる外国につながる子どもたち)は、ほとんどが親に連れられて日本に来ている。子どもは親を選べない。自分の意志でなく連れてこられたのに、こんな状況になってしまうのは、子どもにとって本当に理不尽なことだろう。ただしこれまでU18の子どもたちから、親に対する恨み辛みを聞いたことはほとんどない。むしろ「日本に来たらお母さんと一緒に暮らせるからうれしい」と言う子もいた。おそらく心からそう言ってるのだろうが、なんとも複雑な気持ちにさせられてしまった。
 もちろん親には親の事情がある。経済的事情、社会的事情(内戦の続く国から来た子もいる)もある。さらに親の危機感の薄さが、常識や習慣の違いから来る場合もある。
 そうした事情や違いを認めたとしても・・・それにしても親たちは、子どもを異文化、異言語の世界に放り込んだらどうなるか、来日前に想像したことがあるのだろうか。いやむしろ、どういう現実が待っているか知らない(想像できない)から、国(文化や言語)を超えて子どもを移動させることができたのかもしれない。それは受け入れ側の日本社会全体にも言えることだ。大人(≒労働力)を入れたら、そこに子どもがついてくる(生まれる)と想像しなかったのだろうか。知らないというのは、ある意味強いことだけれど、取り返しのつかない過ち(罪)にもなると改めて思う。

 このところ、不就学、深刻なダブルリミテッド、短期間での日本、母国往復など、子どもの責任じゃないのに!と思えることに、立て続けに出会っている。そんなこんなでつい話が暗く、愚痴っぽくなってしまったが、とにかく、これだけは声を大にして言いたい。
「子どもは親を選べない!」
「子どもはすぐ慣れる。子どもはすぐ言葉を覚えるなんてありえない」(

アメリカの本屋にて:日本語の学習書