2014年11月10日月曜日

そうだったんだね・・・

 クルマを運転しているときは何となく話しやすい.面と向かって目と目が合っていないからだろうか・・・彼の口からそんな話が出てくるとは夢にも思わなかった.その問いは彼にとっては苦しくて迷惑なものだったかもしれない.ゴメンね・・・

 彼はいわゆる『連れ子』である.先に日本に来たお母さんに呼び寄せられ,10代のはじめに来日している.U18では『連れ子』は当たり前の存在になっている(日本中見渡しても,どこの支援者も同じことを口にする).来日後の『連れ子』たちの状況は様々だ.

 ヤッチャルと彼とのつきあいは,来日直後からもう4年近くになる.その間,えらく濃密に関わってくるかと思えば,もう来ないんじゃないかと思わせるくらい音信不通になる.その繰り返しだった.が根気強くコンタクトを保ち続けなかったら,いまごろどうなっていただろう.
 
 彼は中学校になじめなかったし,進学もままならなかった.今でも将来の夢が描けていない.何より彼が何を考えているのかがよくわからない・・・それでも今の彼は,とにかく毎日仕事に行っている.この世界では“定番のしごと”で,工場で一日中立ちっぱなし,身分保障はまったくない.この間は一瞬首になり,また呼び戻された.そんな環境でも,今はそれしかできることはないと割り切っているようだ.

 そんな彼が久々に地域日本語教室の遠足に参加した(その様子はまた書きますね!).のクルマに同乗しての帰路,ほんとにただ何気なく聞いてしまった.
「おかあさん先に日本に来てたんでしょ?お母さんが日本に行った時のこと覚えてる?」
「覚えているよ.おじいさんとおばあさんははじめ『お母さんが日本語の勉強に行くから1ヶ月くらい家からいなくなるよ』って言ったんだ.おれはそのつもりで待っていたよ.でも・・・その後お母さんは帰ってこなかった.おれがまだ10才になる前だよ」

「日本に来ることになったのはどうして?」
「おれって『ちゃらちゃら』(本人がこう言った)してたからね.一緒に暮らしてたおじいさんとおばあさんは,面倒見切れないと思ったんじゃないかな.おれの知らないところで話が進んでいたらしいよ.これは本当のことだけど『明日!!おまえは日本に行くよ』って言われたんだよ.全くなんの予告もなく飛行機に乗る前の晩にいきなりだよ.そんなの有りって思うでしょ?でも本当にそうだったんだ.おれその晩ベッドの中で,この家から逃げ出してやろうと思ったよ.でも,そう思っただけ.行くところないからね.それで翌日,あっけなく飛行機に乗せられた・・・」
 一緒にクルマに乗っていた教室のメンバー(COさん)は涙ぐんでいた.は運転していたからかろうじて平静を保つふりができた.これが現実なんだ.というかU18の『連れ子』たち(いや,日本中の『連れ子』たち)はみな似たような経験をしてきているのだ.

 それにしても“1ヶ月の不在”なんて言い方で子どもがだませる(?),いや納得すると思っていたのだろうか.赤ちゃんだってお母さんが留守するとき,赤ちゃんに気づかれないように出かけると必ずしっぺ返しを食らう.出かけるときは「お母さんはでかけるよ.いい子で待っていてね」と目を見て話しかける方がいい.10才近い子どもなら,むしろ鋭い感性の年頃である.一人の人間として接するべきだ.

  会話の最中の頭に,以前彼からきいたことがよみがえってきた
「お母さんと暮らせるから母国より日本にいる方がいい」
それを聞いたとき,この話は知らなかった.それでも『連れ子』という現実を前にして「それでもお母さんがいいのか・・・」と思ったことはよく覚えている.

 でも,お母さんも苦しかったんだろう.生活のために決断しなければならなかったのだろう.実はお母さん自身も来日後,とても苦労している.日本に来てひとり楽をしていたわけではない.そして今は彼のことを何より気にかけている.彼はお給料をすべてお母さんに渡しているそうだ.お小遣いや必要経費は改めてお母さんからもらっている.そしてお母さんは,彼の稼いだお金をすべて貯金しているそうだ.
「おれのお金は一切使っていないよ」
そのことばで,もCOさんも本当に救われた気持ちになった

東広島市福富町カドーレ牧場